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No.215                            酒 井 寿 紀                      2002/08/05


続・日本の政治家の国際感覚

 

昨年319日の日米首脳会談で、森首相に同行した麻生太郎経済財政担当相は、首脳会談後の昼食会で、米側が午前の会談に引き続いて不良債権処理をただしたのに対し、「個人的な意見だが、不良債権処理を含めて半年間で骨太の結論を出したい。さらに個人的な感想を言えば、日本は3年もらえば不良債権は処理できると信じる」と言ったと報道された。

帰国後、本件について政府内で問いただされた麻生氏は、「June6は出たかもしれないが6ヶ月、"six month"という言葉で出たことはない」とか、「それが公約ですねというような感じの話ではまったくなかった」と弁明に努めている。

また記者に本件について問い詰められると、「“個人的意見”って書いてねぇか? 書いてあるだろ」と言ったという。

先ず、ブッシュ大統領、森首相が同席している公式の昼食会で、まさに議論の焦点になっている問題について、「個人的意見」等言うべきではない。政府として何をするのかしないのかが問題なのだ。こういう枕詞をつけられたら言われた方も当惑するだろう。

将来に備えて、いろいろ発言して自分を売り込むのは誰でもすることだが、言葉数の割に内容がないという印象を与えただけで終わったのでは逆効果だ。相手が期待しているのは新しい約束をすること、そしてそれを帰国後ちゃんと実行に移してくれることなのである。

新しい約束ができないのなら、現在の計画をきちんと説明するにとどめるべきだ。いくら相手の追及が厳しいからと言って、「個人的意見」等、その場逃れを言ってもしょうがない。

アメリカ経済だってバブル崩壊の最中で、きわめて厳しい状況に置かれている。日本経済、世界経済の安定のために、こっちももっと注文をつけたらいい。攻撃は最大の防御である。 

だいたい、不良債権問題の本質が分かっていたら、政治的ジェスチャーは別にして、とても麻生氏のようなことは言えなかったはずだ。現に、金融庁の発表によれば、民間金融機関の不良債権は昨年度9.5兆円増えて、この3月末に52兆円になったという。その場しのぎでできもしないことを断言するのは、選挙演説ならともかく、国際社会では信用を落とすだけだ。

 

今年の29日、オタワで開かれたG7で、塩川正十郎財務相は2003年の日本のGDPの実質成長率を1%に引き上げるとの目標を明言し、これが事実上の国際公約になったと報道された。

しかし、政府は公式な計画を今年118日に経済財政諮問会議の中期経済財政展望として発表したばかりで、それにあわせて内閣府が発表したGDPの実質成長率の試算値は、2002年が0%2003年が0.6%2004年以降が1.51.6%となっている。

他の国からどういう要求があったのか知らないが、何ヶ月もかけてやっとまとめた計画を、海外からの要求で1ヶ月も経たないうちに変える等、まことに主体性がなくて情けない。

しかも、変更された目標を実現するために新たに何をするのか、その後も、具体的施策の発表は何もない。従来の政策だけで1%の成長を達成できる目処がついたという説明もない。0.6%だって達成できるかどうか疑わしいのに、数字だけ1%に上げたところで何の意味もない。こんな公約をしてくれても他の国は何もうれしくない。

日本は、恫喝されれば口先だけは格好いいことを言うというまずい実績をまたひとつ増やしただけだ。国際社会での交渉ごとの場では、言い方はいかに紳士的で丁寧でも、恫喝やはったりが常套手段である。恫喝に応じれば相手はさらに一歩踏み込んでくるのは戦いの常だ。こんなことを繰り返していたら最後に逃げ場がないところまで追い詰められてしまう。

だいたい相手の恫喝の主目的は、悪いのは自分たちではなく日本であることを日本に認めさせ、自分たちの要求で日本の政策を変えさせたという実績を自国民に対する宣伝材料として使うことなのである。このことをよく承知して、日本も相手の言うことを素直に聞くだけでなく、恫喝には恫喝で、はったりにははったりで応じることを覚えないといつまでたっても対等な交渉等できない。

 

19961217日ペルーの日本大使館に武装グループが乱入し、多数の人質を取って立てこもり、獄中の同志の釈放や処遇改善を要求した。そして、当時の橋本龍太郎首相は、事件発生後、「人質の安全最優先」と言い続けた。

「人質の安全最優先」ということは、「テロリストと話し合いの用意がある」と言うのと同じことで、従って、「場合によってはテロリストの要求を一部認めましょう」と言うのと同じことになる。

橋本首相がそういう発言をしたのは、日本の一般国民がそれを望んでいると感じたからで、選挙で選ばれた政治家としては当然のことである。

しかしこれは、長年テロに悩まされている各国の反応とは違った。ペルーのフジモリ大統領は、「テロリストには絶対に屈服しない」と言い続け、各国もそれを支持した。

日本の対応はこれでよかったのだろうか? 幸いにしてこの事件は3人の犠牲者を出しただけで、テロリストの要求は入れずに解決した。しかし、全世界のテロリストに、日本政府はテロリストと交渉してくれる可能性があるということをまたも宣伝してしまった。だいたいペルーの日本大使館が狙われたのも、1976年のダッカ事件等に対する日本政府の対応から、テロリストに、弱腰の日本を巻き込めば何とかなるのではないかと思われたからだろう。

人命尊重は当然のことであり、そのためにはできる限りのことをしなければならない。しかし、テロが起きるたびに、テロリストに聞こえるところで、「人命尊重第一」と言うことは、またテロをお願いしますと言っているようなものだ。たとえ人命尊重を口にするにしても、声を大にして「テロリストには屈しない」と同時に言っておく必要がある。

このままだと日本はいつまでもテロのターゲットにされるだろう。


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