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title.gif (1997 バイト)

No.113                            酒 井 寿 紀                      2001/05/07


ITビジネスの勝者と敗者(2)

パソコン用OS

 

本号では、パソコンのOS関係の世界での勝者と敗者の分かれ目を見てみよう。

 

パソコン用OS

1970年代には、パソコン用のOSといえば、1974年にゲーリー・キルドールが設立したディジタル・リサーチのCP/Mだった。

従って、1980年にIBMがパソコン用のOSを捜した時、当然第一候補はディジタル・リサーチのCP/Mだったはずだ。ところが、IBMがパソコン用のOSを捜しているのを知ったマイクロソフトは、自社ではOSを持ってなかったにもかかわらず、OSの提供を積極的に提案したという。IBMはもともと言語処理のプログラムを提供してもらうためにマイクロソフトに接触したのだが、マイクロソフトはそれだけでは満足しなかったのだ。

IBMはキルドールにも接触しようとしたがうまくいかなかったと言われている。IBMの人がキルドールを訪問した時、キルドールは自家用機で飛び回っていて会えなかったという話もある。これが本当かどうかは分からない。しかし、IBMの要求を満足するにはCP/Mを8ビットから16ビットに変更する必要があり、そのためにキルドールが必要だとした期間がIBMの要求を満足しなかったのは本当だろう。キルドールは過去のOS開発の経験からこの仕事の大きさの見当がつき、そして良心的な技術者だったのだと思う。しかし、まさか他社が自分たちより先に16ビット版のOSを提供できることはなかろうという油断もあったかも知れない。いずれにしてもIBMはマイクロソフトを選んだ。

マイクロソフトは、自社ではOSを持ってないため、16ビット版OSを開発中だったシアトル・コンピュータ・プロダクツから、そのOSの全権利を5万ドルで買い取った。ところがこのOSは同社のティム・パターソンがディジタル・リサーチのCP/Mをベースにして16ビットに焼き直したものだった。

マイクロソフトがIBMに納入した16ビット版のMS-DOSには、IBMが検査したところ300件以上のバグが見つかり、IBMはしかたなくプログラムを書き直すことにしたという。その為、IBM版のPC-DOSには両社の著作権があるのだといわれる。

その後、ディジタル・リサーチもIBMと契約を結び、その16ビット版のCP/MもIBMに供給されることになった。しかし、売価が高くてさっぱり売れなかったという。

そして、1991年にディジタル・リサーチはノヴェルに売却され、94年にキルドールは52歳で亡くなった。

もしキルドールがインテルの16ビットのマイクロ・プロセッサに間に合うように16ビット版のCP/Mを開発していたらパソコンの歴史は変わっただろう。先行者といえども、常に最新のプラットフォームに対応する製品を提供し続けなければ、その地位を奪われてしまう。

また、もしキルドールがIBMと契約を結ばず、シアトル・コンピュータ・プロダクツを著作権侵害で訴えていたら、やはりパソコンの歴史は違うものになっていたかも知れない。

パソコン用OSの世界でも先行者はトップの座を守ることができなかった。トップの座を奪ったのは、自分の褌を持っていず、他人の褌を使って、未知の世界での戦いに無謀にも挑戦した新参者だった。ここでも重要だったのは、自分が技術を持っていることではなく、市場の将来を見抜く力と、リスクを犯して挑戦する精神だった。

 

GUI

現在のWindowsの操作に使われる、ビットマップ・ディスプレイ、マルチ・ウィンドウ、マウス等の技術をGUI(Graphical User Interface)という。これはもともとゼロックスのパロ・アルト研究センター(PARC)で1973年に作られたAltoから出たものだ。しかしゼロックスはこれをずっと後まで製品化しなかった。

ゼロックスは当時コピー機やレーザー・プリンターで充分儲かっていたので、リスクを犯して新事業に乗り出す必要性を認めなかったのだろう。リスクを取ろうとしない金持ちには新天地の開拓は難しい。

この技術を最初に商品化したのはアップルのLisaだったが、これは1万ドルもしたので売れなかった。そしてこの技術を普通のパソコンに始めて適用したのが、84年に発表されたアップルのマッキントッシュだった。

マイクロソフトのビル・ゲイツはマッキントッシュの開発の話を聞いて、GUIの技術の重要性を見抜き、充分な準備もないままに83年にWindowsを発表した。しかし不評を買ったWindows 1.01が出たのは4年後の87年で、本格的に使えるWindows 3.1が出たのは9年後の92年だった。

ある程度以上強くなると、自社に対抗製品がなくても、「当社ももうすぐ出荷します」と言い続けることで充分対抗できるのだ。

アップルは88年にGUIに関する著作権侵害でマイクロソフトを訴えたが結果的にはうまく行かなかった。GUIそのものは特許になじまず、またマイクロソフトは85年に、アップルにアプリケーション・ソフトを供給していることを強みにして、GUIの技術の提供を受ける契約を結んでいた為である。

この不利な契約を結んだアップルのジョン・スカリーを非難する人もいる。しかし、売り手の方がある程度以上強くなると、買手の方が言うことを聞かざるを得なくなるのだ。

自社の強みを最大限に生かし、相手の弱みにつけ込んだ契約を結んだ者が勝つ。そして法廷闘争を恐れていては駄目だ。ビジネスはゲームであり、プロの試合でゲームに勝つにはルールぎりぎりのプレーが要求される。ゲームには賭けがつきものなのだ。


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