ヨーロッパ今昔シリーズ (3)
ローマ今昔
酒井 寿紀
はじめに
この「ヨーロッパ今昔シリーズ」を始めたいきさつについては「パリ今昔」の「はじめに」をご覧下さい。
本編に使った古い写真はカラーになっているが、これは現在のようなカラー写真ではなく、モノクロ写真に人手で色を付けたものだ。今の人にとっては不自然な彩色が多いが、当時の写真技術が分かるためそのままにしてある。
新旧対比表
No. | 約100年前(1900~1920年頃?) | 現在(2020年) |
1 |
パンテオン
(Pantheon) |
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2 |
トレヴィの泉 (Fontana
di Trevi) |
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3 |
スペイン広場 (Piazza
di Spagna) |
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4 |
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂 (Monumento
a Vittorio Emanuele Ⅱ) |
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5 |
カンピドーリオ (Campidoglio) |
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6 |
コンスタンティヌスの凱旋門(フォロ・ロマーノ) (Arco di Constantino, Foro Romano) |
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7 |
ティトゥスの凱旋門(フォロ・ロマーノ) (Arco
di Tito, Foro Romano) |
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8 |
サートゥルヌス神殿(フォロ・ロマーノ) (Tempio
di Saturno, Foro Romano) |
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9 |
カストルとポルックス神殿(フォロ・ロマーノ) (Tempio
dei Dioscuri, Foro Romano) |
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10 |
コロッセウム(フォロ・ロマーノ) (Colosseo,
Foro Romano) |
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11 |
トラヤヌスのフォルム (Foro
Traiano) |
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12 |
ナヴォーナ広場 (Piazza
Navona) |
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13 |
テルミニ駅 (Stazione
Termini) |
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14 |
サンタンジェロ城 (Castel
Sant'Angelo) |
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15 |
サン・ピエトロ大聖堂 (Basilica
di San Pietro) |
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おわりに
経済の活性化より遺跡の保存を優先
フォロ・ロマーノの写真(No. 8)を見ると、100年前に遺跡を横切って作られていた立派な道路が現在は影も形もないことが分かる。この間のいきさつを記したものがないかと捜したが、残念ながら見つからなかった。経済活動を活性化するために道路を建設したが、やはり遺跡の保存の方がより重要だという意見が勝ち、せっかく建設した道路を撤去したのだと思われる。
若い頃ゲーテの「イタリア紀行」を読んだことがある。昔のことなので細かい話は忘れたが、ゲーテが長年の夢がかなってイタリアに向かった時、ヴェネツィアやフィレンツェ等の途中の街はほとんど眼中になく、ただひたすらにローマへの道を急いだという印象を受けた。題は「イタリア紀行」だが、内実は「ローマ紀行」なのだ。ローマと言っても、それはトレヴィの泉やスペイン階段のローマではなく、フォロ・ロマーノのローマなのだ。ローマはヨーロッパの人にとって特別な史跡なのだということを感じた。
フォロ・ロマーノを横切って新設された道路が撤去された背景には、こういうヨーロッパ人共通の古代ローマに対する強い思いがあったのだと思う。
フォロ・ロマーノのStreet View
Street Viewの写真は、通常はクルマの屋根に搭載された専用のカメラから撮ったものである。しかし、フォロ・ロマーノ内には一般のクルマが入れる道がないため、頭上に特殊なカメラを取り付けた人が歩き回って撮ったものが多いようだ。そのため、クルマからの写真のようにStreet Viewの写真上で連続して場所をずらして撮影地点を捜すことができず、地図に付けれらた撮影スポットの印を頼りにStreet Viewを見て、適切でない時は再び地図に戻ることになる。こういう試行錯誤を繰り返して昔の写真の撮影場所を捜すわけだ。
No. 8、No. 9の フォロ・ロマーノ等は、こうして古い写真の撮影場所を見つけたものである。なかなか厄介な作業なので、もう少し楽なしかけができるといいと思う。
(完) 2021年1月28日