home > 海外ところどころ >

ヨーロッパ今昔シリーズ (8)

ニース今昔

酒井 寿紀

はじめに

この「ヨーロッパ今昔シリーズ」を始めたいきさつについては「パリ今昔」の「はじめに」をご覧下さい。

「現在」の写真はすべてGoogleの "Street View" によるものです。

「約100年前」の写真はすべて当時の写真集から取ったものです。

新旧対比表

No. 約100年前(1900~1920年頃?) 現在(2021年)
1

 ジュテ-プロムナド」 (Jetée-Promenade)
 「ジュテ-プロムナド」(遊歩道の桟橋)というカジノが1882年に海中に建てられた。
 古い写真によると、それは公園の天使の石像(右端)に近いので、右の写真の海岸辺りにあったと思われる。
 1944年に解体され、現在は影も形もない。

2

 ジュテ-プロムナド」遠望  (Jetée-Promenade)
 「ジュテ-プロムナド」と公園を旧市街の高台から見下ろしたもの
 同様の場所からの写真は "Street View" には見当たらない。
 手前の道路には昔は路面電車が走っていたようだ。

なし
3

 「プロムナド・デ・ザングレ」から見た「ジュテ-プロムナド」 (Jetée-Promenade)
 
No. 1を西の「プロムナド・デ・ザングレ(Promenade des Anglais、イギリス人の遊歩道)」から見たもの。
 右の写真の海岸辺りにあったが、現在は何もない。

4  「プロムナド・デ・ザングレ」 (Promenade des Anglais)
 
古い写真でドームが二つある建物は No. 1, 2 で公園の西隣りに写っているものと思われる。
 その建物は右の写真の中央の建物に建て替えられたようだ。
 遊歩道は昔は「歩行者天国」だったようだ。
5

 マッセナ広場 (Place Masséna)
 古い写真の左の建物は1884年に開場したカジノ。1979年に取り壊され今はない。
 その跡は多数の噴水付きの巨大な池になっている。(No. 6参照)
 現在の写真の右の赤い建物群は昔とほとんど変わってないようだ。
 古い写真の手前の植え込みも今はなく、広い広場になっている。     

6

 マッセナ広場のカジノとその跡 (Casino, Place Masséna)
 No. 5 のカジノを近づいて見たところ。
 現在は多数の噴水がある大きな池になっている。    

7

 「ケ・デ・ゼタ-ズュニ」 (Quai des États-Unis)
 No. 1 の「ジュテ-プロムナド」付近から東に延びる道路

 西に延びる道路「イギリス人の遊歩道」に対して「合衆国の海岸」と呼ばれる。


おわりに

古いものがほとんどない街

今までの8編の今昔シリーズの中で、この「ニース今昔」は「新旧対比表」が8項目しかなく、最も内容が少ない。しかもその内容をよく見ると、古い建造物として登場するのは、ジュテ-プロムナド」とマッセナ広場のカジノの2件だけだ。そして、本文にも記したように、この2件とも1880年代に建造されたそんなに古くないもので、現在は既に撤去されてしまっている。

ニースには紀元前から人が住み着いていたというが、 他のヨーロッパの古い街にあるような、ローマ時代から19世紀にかけての文化遺産はほとんどないようだ。

では、最近の観光客はニースではどういうところを訪れているのだろうか。

現在のニースで有名な建造物に、海岸通りの「ホテル・ネグレスコ(Hôtel Negresco)」という最高級のホテルがある。20年以上前にニースに行った時、スケッチの途中の汚い格好でちょっと立ち寄ったことがあるが、ロビーに敷き詰められた絨毯の分厚さに驚いた。雲の上を歩いているようなフワフワした足の感触が今でも忘れられない。ロシア皇帝ニコライ2世が注文したというシャンデリアもある。しかし、このホテルがオープンしたのは1913年で、本編に利用した100年ほど前の写真集にはまだ載ってない。

私は絵が好きなので、ニースに行った時はマルク・シャガールの美術館を訪れた。ここにはシャガールが国に寄贈した作品が全館にわたって展示されている。ここは1973年に開館したという。また同じ日に、マティスの美術館にも行った。ここは1963年の開館だそうだ。したがって、両美術館ともニースの山の手のシミエ地区にあるが、当然私が利用した写真集には載ってない。

このように、ニースの見所は主に20世紀以降にできたところのようだ。

悲劇のカジノジュテ-プロムナド」 (フランス語版 Wikipedia "Getée-Promenade de Nice" より)

 No. 1 のジュテ-プロムナド」は1883年にオープンし、1944年に取り壊されたというが、この間ずっとカジノとして華やかな存在を続けていた訳ではないようだ。

何と1883年のオープンの3日後に火事になったという。そして、再建計画は資金難で認められず、破産が宣告され、競売になったのだそうだ。3回の競売でやっと買い手が決まり、再建が完了したのは1891年だという。その後第1次大戦が始まるまでがこのカジノの最も華やか時代だったようだ。

1914年に第1次大戦が始まると、このカジノは傷病兵の収容所になり、戦後は米国への帰還兵の一時収容施設として使われれたという。

その後1942年まで、カジノは往時の盛況を取り戻していたようだ。しかし第2次大戦が始まると、この地方はイタリア軍に占領され、カジノは1942年に閉館を余儀なくされた。1943年にはイタリア軍に替ってドイツ軍に占領され、金属類がすべて持ち去られたため、解放された時は瓦礫だけになっていたという。建物は1944年に解体されたというが、実態はナチスによる略奪と破壊だったようだ。

「いったい、どこにあったんだ?」

昔の写真にはなかった建物が新たにできたり、建て直されたりした場合は、一般に "Street View" で容易にその場所が見つかる。しかし、前にあった建造物がなくなった場合は、そうはいかない。周りに特徴のある建物などがない場合や、周辺も含めて変わってしまった場合は、特にそうだ。

No. 1 等のジュテ-プロムナド」は、変化のない海岸線から突き出た人工的な島のようなものなので、それがどこにあったのか分からなかった。古い写真で、対岸の公園に天使の石像があったことが分かり、同じ石像が "Street View" にも写っていたため、やっと大体の場所を特定できた。

No. 5 等のマッセナ広場のカジノについては、最初は建物の場所も、その向きもまったく分からなかった。これが分かったのは、撤去の跡に多数の噴水が作られたという記事をフランス語版Wikipediaで見つけ、マッセナ広場の噴水の隣の建物が昔のカジノの隣に写っている建物とほぼ同じであることを発見したからだ。(No. 5参照)

こうしてこの二つのケースとも、数少ない手がかりを頼りに、幸運にも昔の建物の位置を知ることができた。

 

 (完) 2021年6月12日


Copyright (C) 2021, Toshinori Sakai, All rights reserved