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ヨーロッパ今昔シリーズ (5)

ナポリ今昔

酒井 寿紀

はじめに

この「ヨーロッパ今昔シリーズ」を始めたいきさつについては「パリ今昔」の「はじめに」をご覧下さい。

「現在」の写真はすべてGoogleのStreet Viewによるものです。

「約100年前」の写真はすべて当時の写真集によるものです。発行元、発行者、写真撮影者等の記載は全くなく、不明です。

新旧対比表

No. 約100年前(1900~1920年頃?) 現在(2020年)
1

 ナポリ市街とヴェスヴィオ山 (Napoli & Vesuvio)
 ヴェスヴィオ山は100年前には噴煙が上がっていた。最後の噴火は1944年だという。
 右端に海に突き出た「卵城」が見える。

2

 卵城 (Castel dell'Ovo)
 
城の下に卵を埋めてあり、卵が割れると城が倒れるという伝説がある。
 後方の山はヴェスヴィオ。

3

 グラドーニ・ディ・キアイア通り (Gradoni di Chiaia)
 海岸に並行しているキアイア通りの途中から山側に向かう脇道。
 昔は階段になっていたが現在は坂道で車が通れる。

4

 パッロネット・ディ・サンタ・ルチア通り (Pallonetto di Santa Lucia)
 古い写真を撮った正確な場所は不明。
 通りの頭上には昔も今も洗濯物が干してある。     

5

 プレビシート広場 (Piazza di Plebiscito)
 1846年に国王によって作られた広場とサン・フランチェスコ・ディ・パオラ教会。
 教会は広場の西側で、その両翼が広場を半円形に囲んでいる。
 1963年から広場は駐車場に使われていたが、1994年に復元され、アスファルトが敷石に戻った。
 利便性より史跡の保存を優先したようだ。     

 王宮 (Palazzo Reale)
 プレビシート広場の東側、No. 5の教会の反対側にある。

 17世紀にナポリ王によって建てられた。
 現在は博物館等として使われている。

 ガッレリア・ウンベルト1世  (Galleria Umberto I)
 「ガッレリア」とはイタリア語で「アーケード」のこと。
 十字型の商店街は4方向が全く同じデザイン。
  1880年代にミラノのガッレリア・ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世を模して建てられたという。

       

 国立考古学博物館 (Museo Archeologico Nazionale)
 正面に旗が立っている左の建物が国立考古学博物館。現在改装中。
 ギリシア、ローマ時代の遺物の収集で世界的に有名。
 ポンペイの遺跡の発掘物も多数ある。
 私が行ったときは、性風俗の展示物があるという別室は閉鎖中だった。残念!

 

 サン・カルロ劇場 (Teatro di San Carlo)
 
1737年にオープンした世界最古のオペラ劇場。No. 6の王宮とつながっている。
 1階の正面左の建物が増築されている。
 第2次大戦中1943年に爆撃にあったが修復されたという。

10

 サン・カルロ劇場の内部 (Interior of Teatro di San Carlo)
 1943年に爆撃にあったが、内部はほとんど変わってないようだ。
 馬蹄形の客席がに舞台を取り囲んでいる。写真は2階正面のロイヤル・ボックスより。

11

 マルティーリ広場 (Piazza dei Martiri)
 円柱の右側の建物は100年前と同じ。
 円柱の左側にあった教会と思われる建物は現在はない。
 そこにはアパートと思われる建物が建っている。 

12

 ダンテ広場 (Piazza Dante)
 この広場の名称は広場の中央にあるダンテの像から命名された。
 現在の写真の右端のプラスチックの建屋は地下鉄のダンテ駅の出入口。

13

 ジョヴァンニ・ボヴィオ広場 (Piazza Giovanni Bovio)
 左手前の建物は旧証券取引所。現在は銀行が使用。
 中央を奥へ向かう道はウンベルト1世通り。
 広場の中央の噴水は2000年に撤去され、ムニチーピオ広場に移設された。
 その後、2010年にヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像が設置された。(No. 14参照)

14

 ムニチーピオ広場 (Piazza del Municipio)
 通りの右側の建物はほぼ昔のまま
。左側は改築されているようだ。
 広場の中央にあったヴィットーリオ・エマヌエーレ2世像は2008~2009年に撤去され、
 2010年にジョヴァンニ・ボヴィオ広場(No13.)に移設されたという。


おわりに

最後はイタリア語版「Wikipedia」

この「ナポリ今昔」で一番苦労したのが、「100年前にジョヴァンニ・ボヴィオ広場(No. 13)にあった噴水は、今はどうなっているのか?」という点と、「現在この広場にある騎馬像は、前はどこにあったのか?」という点が容易に分からなかったことだ。

騎馬像は容易に動かせないので、最初は、古い写真の騎馬像(No. 14)は現在と同じ場所にあり、周りの建物が第2次大戦の爆撃で破壊され再建されたのかも知れないと思っていた。しかし、最近の写真に、騎馬像の隣に100年以上前からの建物が写っているので、その可能性はない。

いろいろ調べが、関連する記事が見つからなかった。最後に調べたのが、イタリア語版の「Wikipedia」だった。その、「ジョヴァンニ・ボヴィオ広場」と「ムニチーピオ広場」の項目から、本文に記したような顛末が判明した。イタリア語の説明文をコピー/ペーストでGoogleの翻訳ソフトに貼り付けると一瞬にして英語に翻訳してくれる。イタリア語は分からず、翻訳結果の英語も100点とは言い難いが、実用上は充分だ。こうして、世界中の100か国語以上の資料を、すべて手軽に英語で読めるようにしてしまったことは、Googleの大変な功績だと思う。

このようにして、ジョヴァンニ・ボヴィオ広場にあった噴水と、ムニチーピオ広場にあった騎馬像が入れ替えられたことが分かった。入れ替えたと言っても、ムニチーピオ広場は広く、前に騎馬像があった場所と現在噴水がある場所は異なるが。

両広場は600m程度離れているので、台座を含めると80トンと言われるヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像を移動することは大変な作業だったと思われる。それにも関わらず入れ替えた目的は何だったのだろうか?

私がナポリに行った2010年には、王宮周辺で地下鉄と道路の大工事をしていた。この大工事の一環だったのだろうか?

なお「ジョヴァンニ・ボヴィオ広場」は、No. 13に写っている證券取引所が建っていたため、最近まで「ボルサ広場(Piazza Borsa)」と呼ばれていた。"Borsa" はフランス語の証券取引所 "Bourse" をイタリア語化したものだろう。

もはや "Street (View)" ではない?

サン・カルロ劇場の外観の写真を見ようと、劇場周辺の道路の写真を捜していたら、劇場のど真ん中にも写真が登録されているというマークがついていた。「一体何の写真なのだろう?」と開いたところ、サン・カルロ劇場の内部の写真だった。幸い古い写真も手元にあったので、両者をNo. 10に並べておいた。

最近はNo. 7の「ガッレリア・ウンベルト1世」のように、他にも建物内部の写真が多数 "Street View" に登録されている。従って、遠からず "Street xxx"  とは言い難くなる日が来るかも知れない。その時は何という名前にするのだろうか?

 

 (完) 2021年4月2日


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