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(株)エム・システム技研 「MS TODAY2008年3月号 掲載        PDFファイル [(株)エム・システム技研のご提供による]

 

ITビジネスから見た海外事情

 

(第15回)  スペインの旅から

 

酒井ITビジネス研究所 代表 酒 井 寿 紀

 

これ、何語?

今から3年前に、家内と二人で初めてスペインに行きました。今回はそのときの話からいくつかご紹介しましょう。

まず、バルセロナに入りました。そこの空港に着くと、どの行き先表示板も3ヶ国語で書かれていて、その真ん中が英語だったので、それを見て空港の中を歩きました。私はスペイン語をあまり知りませんが、一番下に書いてあるのはスペイン語のようでした。では、一番上は? スペイン語とも、イタリア語とも、フランス語とも似ていますが、どれとも違います。「これ、何語?」 その時は、まったく分りませんでした。

バルセロナの街を歩くために空港で地図を買いました。ホテルでそれを見ると、どうも変なのです。「広場」、「通り」、「公園」などの言葉がスペイン語ではないのです。

次の日、ピカソ美術館に行きました。ピカソは若い頃バルセロナに住んでいたことがあるので、ここにはピカソの美術館があり、まだ本格的な画家になる前に描いた絵が多数展示されています。この美術館には2ヶ国語の説明パネルがありました。一方はスペイン語でしたが、もう一方が何語か分りません。これもフランス語やイタリア語と似ていますが、どちらでもありません。「これ、何語?」

帰国してから調べると、この分らなかった言葉は、バルセロナ周辺のカタルーニャ地方で使われるカタルーニャ語だと分りました。カタルーニャ州ではこのカタルーニャ語がスペイン語と並んで公用語なのだそうです。スペインではどこへ行ってもスペイン語だけが公用語だと思っていましたが、そうではないのです。

スペインのウェブサイトには、言語の選択の欄に、「カスティーリャ語、カタルーニャ語、英語、・・・」とあって、「スペイン語」がないものがあります。ここでカスティーリャ語というのがスペイン語のことで、マドリッド周辺のカスティーリャ地方の言葉が現在のスペイン語になったのです。

カスティーリャ王国とカタルーニャにあったアラゴン王国はもともと別の国でしたが、15世紀にカスティーリャの女王イサベルとアラゴン王フェルナンドが結婚して、一つの国になりました。その時代から言葉も一本化されたのだろうと思っていましたが、実はそうではないのです。カタルーニャのカスティーリャに対する対抗意識は、その時代から現代まで延々と続いているのです。そのため、バルセロナ空港の行き先表示板は、カタルーニャ語、英語、スペイン語の順に書かれていたのです。

 

遊び心に溢れた天才、ガウディ

バルセロナはガウディという有名な建築家の出身地で、バルセロナの街にはこの人が設計した建造物がたくさんあります。それらを見て歩きました。サグラダ・ファミリア(聖家族)という大きな教会は1882年に着工したのだそうですが、いまだに内部はほとんどできていません。ガウディは1926年に亡くなりましたが、その後も延々と建築工事が続いています。現在100メートル以上の高さの塔が8本完成していて、エレベーターで昇るとバルセロナの街を一望の下に見渡せます。建物の前に立つと、現在でもその威容に圧倒されますが(1)、今後さらに170メートルの高さの塔を追加するのだそうです。われわれには大変威圧的に感じられますが、教会建築とはそういうものなのかも知れません。神の力を誇示し、その前にひれ伏させることができなければ、教会建築としての役目を果たせないのでしょう。

いったい、これはいつになったら完成するのでしょうか。しかし、驚くことはないのかも知れません。パリのノートルダム寺院もミラノのドゥオーモも、完成までには何百年もかかったそうです。教会建築とはそういうものなのでしょう。最近この建物が市の建築許可を取得してないことが判明したということです。つまり違法建築なのです。時代と共に変わっていく建築規制などを超越して、百年以上もかけて新しい文化遺産を築いてゆくところに、ヨーロッパの人の発想のスケールの大きさを感じます。

ガウディの作品には、このほか、グエル公園にある、波打った背もたれが延々と続くベンチや(2)、オオトカゲの彫刻をあしらった階段などもあります。また、カサ・ミラというマンションにも行きましたが、その外壁は、大きく波打っていました。建築家にはこういう遊び心が重要なのだということを強く感じました。最近亡くなった黒川記章氏の手による六本木の国立新美術館の壁面も大きく波打っていて、ガウディの作品を思い出させてくれました。

 

ここからは「ブス」!

カスティーリャ王国の首都は、16世紀にトレドからマドリッドに移りました。それ以来トレドはあまり発展しなかったので、トレドには古い街並みがよく残っています。マドリッドから鉄道で1時間半ぐらいなので、マドリッドから日帰りでトレドを訪れました。

列車がトレドの一つ前の駅に着くと、車内放送があり、全員列車から降ろされてしまいました。マドリッドで切符を買ったときも何の説明もなく、何が起きたのか分りませんでした。駅員に「トレドに行きたいのだ」と言うと、「ブス!」と言います。日本の女性が聞いたら気を悪くしたかも知れませんが、スペイン語でバスのことです。そこから全員バスでトレドまで連れていかれました。

トレドへ着くと、線路が工事中で、一時的な故障などではなく、帰りの列車も出ないことが分りました。帰りはどうしたらいいのか聞こうにも、英語が分りそうな駅員もいないので困りましが、何とかなるだろうと、一日トレドの街を見て歩きました。途中に観光案内があったので、そこで英語を話せる女性に聞くと、時刻表に載っている時間にトレドの駅に行けば次の駅までバスで運んでくれると分り、一安心しました。

日本に戻ってから調べると、スペインでは現在、鉄道の軌道を広軌から標準軌に切り換える工事を進めているのだそうです。スペインはもともとレールの間隔が広い広軌でしたが、EUの統合で他の国との相互乗り入れを進めるため、広く使われている標準軌に変更しつつあるのだそうです。

結果的には、ほぼ時刻表に記載してある時間通りに往復できましたが、ほとんど何も説明がないのには驚きました。しかし、大事なのは結果であって、説明ではありません。「結果よければすべてよし」です。逆に、結果が悪ければ、いくら言い訳の説明を聞いてもしかたがありません。私はスペイン人の国民性はよく知りませんが、こういうところはイタリア的だと思いました。言葉も似ているだけに考え方も近いのかも知れません。

 

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15回にわたり、海外に出かけたり、外国人と会ったりした体験の中から、少しは参考になるかと思われる話をご紹介してきました。長期間お付き合いいただき、大変ありがとうございました。

 


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