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オーム社「Computer & Network LAN」2004年11月号 掲載       PDFファイル 

(下記は「OHM20091月号の別冊付録「ITのパラダイムシフト Part T」に収録されたものです)

 

「ユビキタス」は時代の流れ

 

酒井 寿紀  (さかい としのり) 酒井ITビジネス研究所

 

「ユビキタス」の普及では日本が世界一?

「ユビキタス」という言葉のもとは、ゼロックスのパロアルト研究所にいたマーク・ワイザーが1988年に使いだした「ユビキタス・コンピューティング」である。マーク・ワイザーはコンピュータの進歩を三つの時代に分けた。第1はメインフレームの時代で、大勢の人が1台のコンピュータを共同で使った。第2はパソコンの時代で、1人が1台のコンピュータを使う。そして、第3の時代には1人が何台ものコンピュータを使うようになる。この第3の時代を、「いたるところに存在する」という意味の「ubiquitous」という英語を使って、「ユビキタス・コンピューティング」の時代と名付けた1)

マーク・ワイザーは、ユビキタス・コンピューティングの主な特長を二つあげた。第1の特長は、コンピュータが「見えなく」なることだという。メインフレームにしてもパソコンにしても、我々はきらびやかなコンピュータを見ることができた。ところがユビキタス・コンピューティングの時代には、字を書いたり、声を発したりすれば、どこか見えないところでコンピュータが仕事をしてくれるようになるという。そして第2の特長は、コンピュータ同士が無線でつながれるようになり、必要な情報を相互に交換しあうようになることだという。

マーク・ワイザーは1999年に亡くなったが、彼の考えは、その後多くの研究者に受け継がれた。ただ最近は、IEEEIBMは同じことを「pervasive computing」という、同じような意味を持つ別の英語で呼んでいる。ところが、日本では今世紀に入って「ユビキタス」という言葉が大流行し、一般の新聞や雑誌にまで登場するようになった。これほど「ユビキタス」が普及している国は、ほかにないだろう。

 

コンピュータの歴史は「ユビキタス化」の歴史

ところで、コンピュータの「ユビキタス化」は21世紀に入って初めて始まろうとしているのだろうか? コンピュータの歴史を振り返ってみよう。

コンピュータの実用化が始まった1960年代には、コンピュータは非常に高価で政府や大企業ぐらいしか導入できなかった。1970年代になると、ミニコンやオフコンと呼ばれた小型機が普及し、大学の研究室や小さい企業にも入るようになった。そして、1980年代に入ると、分散コンピュータ、部門コンピュータという言葉が流行し、企業の部門ごとに導入されるようになった。またパソコンの普及も始まった。そして、1990年代にはパソコンが主役になり、メインフレームは裏方にまわった。一方、1970年代に登場したマイクロプロセッサは、パソコンのほか、家電品、自動車、ビデオ・ゲーム、時計、カメラ、携帯電話などに使われるようになった。

こうしてプロセッサの数は、その登場以来長年にわたって増え続けた。1960年代前半に全世界で最も大量に使われたコンピュータはIBM1401で、その最盛期の稼動台数は約1万台だったという。したがって、当時の全世界のコンピュータの生産台数は年間数千台程度と思われる。一方、WSTS (World Semiconductor Trade Statistics)の統計によれば、2001年の全世界のマイクロプロセッサの生産量は約50億個だという。40年間で約百万倍に増えたわけだ。

年間50億個というと、全人類に対してほぼ1人に1個のマイクロプロセッサが生産されていることになる。高級車には100個以上のマイクロプロセッサが使われているので、先進国では100個以上のマイクロプロセッサを使っている家庭がざらにあることになる。

 

そしてみんな「見えなく」なった

コンピュータの初期には、命令を使ってプログラムを書き、データをメモリの指定したアドレスに格納した。コンピュータは素っ裸で、その隅々まで我々に見えていた。しかし、高級言語でプログラムを書くようになって、命令やアドレスは「見えなく」なった。そして、コンピュータは次第に厚着になり、ファイル形式、通信プロトコル、システム・コールなども、一般のユーザには見えなくなっていった。最近のパソコンでは、プラグ・アンド・プレイによって周辺機器の接続仕様も見えなくなった。

そして、マイクロプロセッサを使った家電品や自動車ではプロセッサ自身がまったく見えない。しかし、これはプロセッサの台数が増え、そのユーザが専門家からまったくの素人へと広がっていったための当然の帰結だ。パソコンのように手間のかかるものが家庭に100個もあったらたまったものではない。

 

半導体の進歩が止まるまでユビキタス化は続く

このようなユビキタス化の流れをもたらした最大の要因は、半導体の進歩である。半導体の進歩を取り入れて、プロセッサが小さく安くなり、大量に使われるようになった。現在騒がれている「ユビキタス」も、その歴史の中の1ページに過ぎない。したがって、たとえ「ユビキタス」という言葉が一時的な流行に終わっても、半導体の進歩が続く限りユビキタス化の流れは止まらないだろう。

Computer & Network LAN200411月号

 

[後記] コンピュータの小型化、低価格化の流れはその後も止まらない。最近は、従来より一段と安い小型ノート・パソコンが市場を賑わせている。一例をあげれば、台湾のAsus(アスース)が2007年にEeePC(イーピーシー)という小型ノート・パソコンを発売したが、その最新型は、7インチの液晶パネル付で、0.9kgと軽く、Windows XPが使え、日本での価格は49,800円である。

そして、パソコン並みのOSが使える、スマートフォンと呼ばれる携帯電話にも新型が次々と出現している。例えば、2007年にはアップルがiPhoneという、OS Xの携帯電話版が使える、3.5インチのタッチスクリーン付のスマートフォンを発売した。

ソニーの非接触ICカードであるFeliCa8ビットのCPU4キロバイトのメモリを備えていて、全国各地の鉄道やバスでプリペイド・カードとして使われている。20081月にはJR東日本のSuicaと首都圏の私鉄用のPASMOの合計販売枚数が3,000万枚を超えたという2)。携帯電話などと合わせ常時複数個のコンピュータを持ち歩くのが、今やごく普通になった。

 

参考文献

1) Mark Weiser, John Seely Brown, “The Coming Age of Calm Technology”, Xerox PARC, October 5, 1996

(http://www.ubiq.com/hypertext/weiser/acmfuture2endnote.htm)

2) PASMOSuica3000万枚突破」, ITmedia News, 2008123

(http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0801/23/news161.html)

 


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